« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月

2012年4月19日

道化師の蚊

541

542

543

544

円山まどかです。


作家はどこから着想を得るのか。
円城塔の『道化師の蝶』はそんなお話でした。こないだ芥川賞とったやつ(の怖くないほう)。そんなわけで円山は今後いわゆる「神が降りてくる」ことを「蝶を捕まえる」と呼ぼうと決めたわけだけど、こんなときにかぎって見事になにも思いつかない。手もとのメモには「麺」とだけ書かれているので、たぶん麺が食べたいんだと思う。食えよ。


にしても。たしかに気になるところではある。このブログ読んでるの身内ばっかりなんで半分私信だけど、どうやってお話考えてんスか。
そろそろ丸一年二冊目の本がでない円山が作家を名乗っていいものやらなにやらアレだが、あんまりいうとアレなんでそこはアレするとして、自慢じゃないがこの円山ちゃんと蝶をつかまえられたためしがない。
鱗粉くらいは嗅いでいるかもしれないけれど、円山の捕虫網がざるなのか「そうそう、これこれ!」みたいな出会いがないので困る。
たいてい「なんとなくできちゃった」てのがいつもの流れで、計画性のない男女のようだ。だからアレなんだよといわれるとアレだが、ともかくそのせいでブログの文章もなんかアレになっちゃったりする。
お筆先っていうと立派に聞こえる。でもあれは「筆先に神が宿っている」状態らしいからなんかアレ。計画性はたしかにないです。


とりあえず一行目を書いて、一行目を参考に二行目を書く。二行目を参考に三行目を書く、以下同文。毎回二次創作でもしている気分だ。
一行は半行を参考に。半行は四分の一行を参考に。なんだか円城塔みたいになってきた。じゃあ出だしはどうやって決めるのか。いやわからん。芥川賞作家が一冊かけて考えるようなものを訊くほうが無茶だわ。


実際、漫画みたいにただ寝転がってうんうんうなるってことも、じつはあまりないんである。
書かなきゃ思いつかないんだから、とうぜんだろう。あるとすれば起きているのがメンドいときだ。

さっきメモとか麺の話をしたが、そもそもそんなわけだから円山、あまりメモというものをとらない。まったくとらないといっていい。もちろんそこはそれメモ帳くらいは持っているけど、「二時に駅」とか書いてあるのでこれじゃメモだ。いやメモでいいんだけど。
その下に殴り書きで「045-671-3055」とある。べつに晒しているわけじゃない。かけてもいいけど横浜市水道局だよこれ。
そんなメモに「麺」だ。よほど食べたかったと見える。あとは白紙。前衛芸術かなにかか。いやメモだ。


というわけで、考えがなさ過ぎてどう終わらせたものやらわからなくなってきた。
と、そんな感じのいいわけもこのブログでなんべんもつかっている気がする。さっきから部屋を飛んでいるのは蝶ではなくて蚊みたいなので、着想を得るどころか吸われそうだ。たまにはしっかり落としてキメたいが、ぶっちゃけ考えるのが面倒なのでここらでおしまい。


円山まどかでした。

2012年4月12日

そこに音楽さえあれば(愛などいらない)

531

532

533

534_2


円山まどかです。


そんなわけで、今日発売の『月刊少年マガジン』に、羅川真里茂先生の『ましろのおと』のノベライズを掲載いただいています。本編のうしろに載っかっております。帰省して早々恐縮でぶっ倒れそうですが、よろしくご覧いただければと思いますTwitterで書いた宣伝のコピペ)

で、打ち合わせで何度か月マガの編集部にお邪魔したのだったが、そのたびに飾ってあるフェンダーのムスタングにばかり目を奪われていたのだった。楽器オタクの性といえよう。


そう、円山は楽器オタクなのである。音楽オタクは数多かれど、意外といない楽器オタク。テレビや街頭で耳にする以外AKB48の曲をちゃんと聴いたことはないけれど、ディジュリドゥのCDは嬉々として聴く……そんな感じ(ディジュリドゥとはオーストラリアの先住民族・アボリジニが使用する笛。シロアリに食われて穴が空いたユーカリの木を再利用するロハスな楽器なのである!)

円山のなかの「うらやまランキング」において、「彼女がいるやつ」「彼女と一泊を過ごすやつ」「彼女と一泊してメイクラヴするやつ」さえも差し置いていまだに首位を独走しているのは、以前川原で会ったおっさんの「はじめて触った楽器がチャランゴだった」なのである(チャランゴとは南米アンデスの弦楽器。アルマジロの皮を使用するといういかにも民族色豊かな楽器なのである!)音楽があれば愛などいらない。


あと「そのおっさんは何者なんだ」という質問は受けつけない。円山もよく分かんないし。ただ、そのおっさんが尺八を吹いていたから話がはじまったわけで、楽器オタク同士は惹かれあうということだろう。
東京は御茶ノ水なんかの楽器屋にゆくと、ギターを爪弾きながら「やあやあお宅もですか、わたしも好きでねえ」と笑い合っている中高年のおっさん連中をよく目にする。その横で細君と思しき女性がつまらなさそおおおに目を細めている光景も定番だ。


まあ円山がいちばん弾いてみたい楽器って、やっぱり琵琶なんだけどね。えへ。同意を求める気はさらさらないが、琵琶ってどきどきしませんか。『ましろのおと』は津軽三味線のマンガだが、三味線に比べるとあの構造、弦高は異常に高いしどう考えても構えづらいし撥は杓文字の親玉みたいなでかさだしあえて「弾きづらさ」を追求しているようにしか思えない。
しかしその「弾きづらさ」と、弾きづらいがゆえに起こる(西洋音楽の観点から見て)「狂った」音律こそが、日本人の音なのだ。そう、民族楽器の面白さとは、楽器の構造そのものがその民族の本質を表している点なのである。
民族楽器を知れば、その民族を知ることができる。もちろん過言ではない。


たとえばハワイには「スラック・キー・ギター」というものがある。
楽器、というか奏法なのだが、通常「ミラレソシミ」と調弦するギターを、ハワイの人間たちは「ドソドソラレ」であるとか「レラレファ#ラド#」であるとか、好き放題スラックして(緩めて)弾いている。種類は100を優に超すといわれているほどだ。この奏法の発生には、じつは歴史的な背景がある。



カメハメハ大王3世の時代、ハワイには野性の羊が大量に殖えて農作物被害などが激増し、困り果てていた。大王は一計を案じ、羊の飼いかたにおいて秀でていたスペインから羊飼いたちを招き、時局の収拾を試みた。
ところがスペイン人たちは、昼間から飲むわ歌うわのドンチャン騒ぎ(このときの様子は、メルヴィルの『白鯨』に詳しい)。治安はやや荒れたが、ただ仕事だけはしっかりやって帰っていった。
そのとき彼らはハワイに、暇つぶしに持ってきたギターを捨てていったのである。残されたギターを手にとったハワイのひとたちは、基本的な弾きかたが分からない。であるからてんでにチューニングを発明し、自分たちの気持ちのいいように弾きはじめたというのである。


円山はこの話、山内雄喜『スラック・キー・ギター入門』(リズム・エコーズ)というわりとレア目の古本から仕入れたのだったが、なぜか検索しても出てこない。なので「スラック・キー・ギター」かなんかで検索してここにきちゃったあなた、これ知ってると楽器屋でちょいと自慢できまっせ。
まあ横にいる奥さんの「だから何だってんだオーラ」に耐えられればの話だけども。そんなときは仕事の告知で延々読者に分からない話をしゃべくり続ける、円山まどかという男を思いだしてほしい。

そんなわけでまたこんな機会があれば、次は「唯一固有の音色を持たない、ターンテーブルという楽器」(だから何だってんだ)について語りたと思います。えへ。


円山まどかでした。

2012年4月 1日

愚かになりきれない季節

521

522_3

523_5

524_7

円山まどかです。

さて4月である。
4月。それは出会いの季節。半分ひきこもりの円山的には4月に出会うものなんて花粉くらいしかいないわけだが、みなさまにおかれましては高校や大学、会社など新たな場所での出会いに胸躍らせている方も多かろう。
そんなフレッシュな世のなかで、「いかにして他人を騙すか」ということばかりを考えている不健康な人間も一定数存在していることを忘れないでいただきたいヒヒヒのヒ(←笑い声)。

それにしても。過去22年の人生で、この日に嘘をついた記憶があるかというとこれが案外にない。
なにしろ円山は品行方正、勤勉実直で名の知られた人物である。よって他人を貶めて愉悦を得るなどという下劣なイベントには興味はないのだ。ありがちな嘘はさておき、単純に円山、嘘が苦手なのである。
笑ってしまうのである。いるんだよ、こういうやつ。なんかさあまるで素直でいいやつみたいだが、必ずしもそうとも限らないの。

そもそも円山という生き物は、基本的にへらへらして生きている。しょうもないことを吸っては吐いて生息しているのであり、嘘をつくにはここに難がある。
すなわち普段からお茶を濁してばかりいる人間が、いつもの調子でまことしやかなデマを流したところで説得力を持ち得ようか。
あるいは唐突に真顔になったところで、それがとりもなおさず「構えの姿勢」の様相を呈してしまい、ハナからバレるのではないか?
だいいち4月1日は相手方も用心している。以上のことから、円山のでる幕はない。

しかし4月1日というのは、かえって迂闊に本当のことを話せない日でもあるのだ。
今日はだれもが心に疑心暗鬼を飼っている。ひとの口の端にのぼる話題が、すべて嘘めいて聞こえてしまう。いまや世界のあらゆる者が、信じる心を失った愚か者ばかりだ。

たとえば地球には遥か三千光年の彼方から念波(サイコウェーブ)が絶えず降り注いでいることとか、その悪念波が人心に悪影響を及ぼし犯罪や戦争や悪政の原因になっていることとか、また、その悪の念波と同じように実は善の念波も降り注いでいることとか、しかし人心の不安のためにうまく受けとることができないでいることとか、善念波を受けとるためには「信じる心」を鍛錬することが不可欠であることとか、その鍛錬には善念波の発信源である宇宙の彼方の岩倉に御座します「素直様」に日に三度の礼拝を捧げることが効果的であるとか、これは真実である。だれが信じているのだろうか。ひとに話したところで「お、おう……」な反応が関の山で私は哀しい。

この文章を読んでいるあなたがたにおきましては、よもや信じる心を忘れていない素直な方々ばかりと思う。この「素直な生活教」に興味をお持ちになられた方は、ぜひ円山に連絡を寄越してほしい。いや怖いからやっぱりやめてほしい。
とはいえまあ、折よくも万愚節。信じる心があったところで、それはそれで愛すべき愚か者といえようか(読んでるの知り合いばっかなんで愚かっていっちゃうのもアレなんだけど)。嘘をつくほうもつかれるほうも、右も左もみんな馬鹿。そう、せっかくのブログでとくになにも仕掛けず山も落ちも意味もない保守的な文章を書くようなやつこそが、ほんとうの四月馬鹿なのかもしれない。

円山まどかでした。

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

フォト
無料ブログはココログ

Twitter